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ギルロイ (カリフォルニア州) : ミニ英和和英辞書
ギルロイ (カリフォルニア州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ギルロイ (カリフォルニア州) : ウィキペディア日本語版
ギルロイ (カリフォルニア州)[す, しゅう]


ギルロイ(、)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタクララ郡の南端にある都市である。2010年国勢調査では人口48,821人だった〔。

ガーリック(ニンニク)を生産することで知られ、毎年開催するギルロイ・ガーリック祭には、ガーリックを使った様々な料理や、ガーリックの入ったアイスクリームを出している。またマッシュルームもかなりの量を生産している。市西部の大部分、マドンナ山郡立公園の麓周辺にある古い家の敷地で、小規模なワインが生産されている。

ギルロイ・ホットスプリング道路を通って市の北東約8マイル (13 km) には、ビクトリア時代のリゾートであるギルロイ・ヤマト・ホットスプリングがあり、カリフォルニア州の歴史的建造物になっている。またその全体が工場アウトレット店で構成される大型のギルロイ・プレミアム・アウトレットもある。
昔から在るランドマークとしては、カリフォルニア州道152号線沿いに特化されたテーマパークであるギルロイ・ガーデンズ・ファミリー・テーマパーク、州道152号線近く町の西約12マイル (19 km) にヘッカー峠のマドンナ山郡立公園、町の北東にヘンリー・W・コー州立公園がある。また南東の外れにはコンアグラ・フーズが所有するギルロイ・フーズ加工工場が目立っている。
南東のホリスター方面や北のサンマーティン方面は、牛、ガーリック、イチゴの農園が占めている。ワインはガーリックの次ぎに力を入れているものである。ギルロイ・ワイントレイル沿いにワイン醸造所がある。
== 歴史 ==

1770年代にフニペロ・セラ神父が率いた開拓者がこの地域に到着し始め、1797年にはパハロ川近くにサンフアン・バウティスタ伝道所が設立された。1809年、イグナシオ・オルテガがスペインの土地譲渡で13,066エーカー (52.88 km2) の土地所有を認められ、ランチョ・サンイシドロとなった。その近くにサンイシドロの村が成長した。そこはエル・カミノ・レアルおよびサンタクララ・バレーとサンホアキン・バレーを繋いだパチェコ峠の麓にあった。当時のカリフォルニアから輸出された主要産品は獣脂であり、数千樽が加工されてヌエバ・エスパーニャの他地域に出荷された。外国人との貿易や外交的交流はスペイン総督政府から厳格に禁じられていたが、贅沢品を切望するカリフォルニオは密かに実行していた。
米英戦争の時、北西会社が武装商船''アイザック・トッド''を派遣して、コロンビア川河口にあるアメリカ人交易基地のアストリア砦を占領させようとした。この船はイングランドポーツマスを出港し、ケープホーンを回ってアメリカの太平洋岸まで進んでおり、途中のスペイン領の港で物資を補給していた。1814年1月、''アイザック・トッド''はモントレー・プレシディオ(砦)に到着した。その訪問中に平凡な水夫のジョン・ギルロイ(スコットランド出身であり、海に出たときにスコットランド出身と悟られないよう、それまでのカメロンからギルロイに変えていた)が、船から飛び降りたか、あるいは壊血病療養のために岸に残されたかで、この地に留まった。そこからサンイシドロに向かう間の何らかの時にローマ・カトリックに改宗し、アルタ・カリフォルニアでスペイン王室が合法的に認知した非スペイン人開拓者として最初の者になった。長い間にアメリカ人やヨーロッパ人がこの地域に入ってくるようになったが、暫くはスペイン、さらに1821年以後は独立したメキシコの支配下にあった。ギルロイはその雇用主の娘と結婚し、最後は村のアルカルデ(村長)になった。
カリフォルニアが1848年にアメリカ合衆国に併合されたことに続いて、シエラネバダ山脈で金が発見され、それまでは細々とだった東部州からの移民が大挙押しかけてくるようになった。元々のカリフォルニオ土地所有者の多くが土地を切り売りし、不法占有者のために失い、あるいは所有権に関する聞き取り調査で取り上げられ、サンイシドロ周辺の地域はプレザント・バレーと呼ばれるようになった。1870年3月12日、ギルロイ町として州議会により公式に法人化された。ジョン・ギルロイは1869年に死亡していた。この時までに町の中心はエル・カミノ・レアルの西に移動していた。当初の村があった場所は、今日ではオールド・ギルロイと呼ばれるあまり人の住まない領域になっている。暫くの間、牛の飼育と、近くのサンタクルス山地からの木材が地域経済にとって重要だったが、バレーの他の地域と同様に農業が最大の収入源となった。農業は長い間重要なままだったが、1970年代に北のシリコンバレーに対するベッドタウンに変わり始めた。
町には19世紀半ばからの建物が多く残っている。1857年に建てられたキリスト教会はサンタクララ郡で最古の連続的に利用されている木造建築物となっている。鍛冶屋ジョージ・ユースティスの家屋は1869年の建設である。ユースティスは南北戦争の古参兵であり、ゲティスバーグの戦いにも参戦していた。サミュエル・ムーアは長くギルロイ郵便局長を務め、その家は1870年代に建てられた〔Santa Clara County Heritage Resource Inventory'', Santa Clara County Historical Heritage Commission, published by Santa Clara County, San Jose, Ca., June, 1979〕。その家屋が建てられていた場所には現在アパートが建っている〔http://www.redfin.com/CA/Gilroy/7151-Church-St-95020/home/1640672〕。市の北東には19世紀後半に開発されたリゾート地、ギルロイ・ヤマト・ホットスプリングスがある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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